つれづれぐさ

思ったことを忘れないための記録

コンビニに定価で売っている野菜ジュースが消えない理由を考えた

1人暮らしが始まって野菜ジュースをとてもよく飲むようになった。

コンビニでバイトを始めてずっと不思議に思ったことがある。

それは、コンビニで定価で売っている紙パックの野菜ジュースはなんで売れているんだろうっていうことだった。

だってスーパーに行けば百円以下で買うことができるのだ。

それをなんでわざわざコンビニで定価で買うのか。

考えられた理由がこちら。

1.スーパーでいちいち買うのはめんどくさい。かといってスーパーで買いだめするのもいやだ。

2.ちゃんと冷たい状態で飲みたい。

3.スーパーで売っているのとはモノが違う。

こんな感じである。

この記事でちょっと詳しく書きたいなと思ったのが3つ目の理由である。

スーパーで売っているのとはモノが違う。

ん?と一瞬思うだろう。

私の勘違いかもしれないのだけれどこれはあながち間違っていないのだ。

バイト終わり、何となく気分的にコンビニで野菜ジュースを買いたくなった。

それで購入して家で飲んだ時に、いつも飲んでいるのと食感?が違った

なんだかざらざらしているのだ。

パッケージを見てみると

あらごし食感UP!みたいな文言が書かれている。

後日スーパーに行って同じもののパッケージを見てみるとその文言はなかった。

つまりコンビニで売っている野菜ジュースだけ、あらごし食感UP!を味わうことができるのだ。

それに気が付いて、かつそれをとっても気に入った人が購入をやめないからずっと売り場から消えないのかなとひっそり思った。

 

 

ライブビューイングって実は一番いいんじゃないかって思った。

断っておくが決して生で見れなかったことへのひがみではない。

昨日ハンドメイドワークスをライブビューイングで見てきた。

人生初のライブビューイングでちょっとうきうきしていた。

そしてとても素晴らしい時間を過ごすことができた。

それから思ったのだけれど、生で見るよりもライブビューイングで見たほうが楽しめるのではないかと思った。

一番のメリットは演者の顔がとてもよく見えるということである。

生で見たら前列にいる人しか芸人さんの細かい表情を見ることはできない。だがライブビューイングではカメラが芸人さんに寄ってくれるからみんなよく見ることができる。

一度、生で東京03の単独ライブを見に行ったが少し離れた席だったので表情まではよく見ることができなかった。もちろんコントはとても面白かった。

そしてさらに言えばチケット代が安くなるということだ。

ライブビューイングでは生のチケットの約半分とちょっとの値段でチケットを買うことができる。

そして表情がとーーーってもよく見える

ほら、さいこうではないか!!

 

とは言ったものの、もちろん生には生の良さがある。

それはライブビューイングではカメラが映しているものしか見ることができないということだ。

カメラは基本的にセリフをしゃべっている芸人さんをアップで映す。

つまり相槌を打っている人の表情や動きを見ることができないのだ。

今回でいうと日村さんが歌を歌うシーンで、なんて歌っているのかわからないというのが笑いどころのネタなのだけれどカメラは基本的に日村さんを映していて、横に投影されているスクリーンの歌詞を見ることができないことが間々あった。

それでもすごいですね日村さんは。

ライブビューイング会場でも大爆笑でした!

面白ければいいんでないかと個人的に思うので満足している。

ちなみに最近東京03の第21回単独公演「人間味風」の開催が発表された。

そして私は考えた。

生とライブビューイング両方見ようと。

何を馬鹿なことをかいているのだ、と思われた方。

ちょっと読んでほしい。

公演は各回で進化していくのだ。

ライブビューイングは大抵公演の終盤でやる。

そして私は距離的に東京公演のどっかで見るのが都合がよい。

東京公演はいつもの感じであると序盤のほうでやる。

つまり両方見ることで公演の楽しむことができる。

これってとっても素晴らしいことなんじゃないかと思う。

だから、二回見る。

問題なのはお金だ。

ぶっちゃけ二回見るとなると、一度ライブビューイングで見たとしても安くはない額になる。

だが、やっぱり生で見たい。

生の会場では東京03ファンアプリのチェックインカウンターが設置されており、限定バッジ(デジタル)を手に入れることができる。

そしてそのバッジも会場ごとに違う。

残念ながらライブビューイングの会場では手に入れることができない。

ファンのコレクション欲をくすぐる仕組みであるなあとしみじみ思う。

ああ、チケット、当選しますように。

前回、何となく応募したらなんと当選した。

ビギナーズラックでないことを祈る。

ん?ビギナーズラックの使い方あってる?

マイバック買ったら節約になるのか?

昨今はプラスチックごみ削減の動きが激しい。

レジ袋も有料になるところがほとんどである。

そこでマイバックを持っている人を多く見かけるようになってきた。

私も一時期は買おうと思っていた。

しかし今は基本的に一度使ったレジ袋を利用するか持っているかばんにぶち込むという行為をしている。

なぜそうしたのかというと考えたら何も私にメリットがなかったからだ。

まず考えて見てほしい。

レジ袋は一枚2円である。

マイバックはどうせ買うならマチがしっかりとあって穴の開かない素材であるのが大切であろう。

そういったものを買おうとすると安くても500円くらいはする。

一回の買い物で私が使うレジ袋は1枚である。

そして買い物をするのは多くても一週間に2回程度である。

500円でマイバックを買ったとして元を取るには250回買い物をする必要がある。

250回買い物をしてやっと自分にとってお得な日々になる。

私は250回買い物をして果たしてそのバックが使い物になるのかということを考えた時に

正直自信がない。

これは私のもの使いが荒いだけなのだが、私はすぐに自分の使っているものをダメにしてしまう。

靴はほぼ毎日履いて歩きまくるのと歩き方が悪かったせいもあり三カ月でへたらせてしまった。

かばんもいつついたのかわからない汚れが至る所につき、すごく使い古した感が一年で出てきてしまった。

なぜそうなってしまうのかはわからない。だがこんなものの使い方をする私が果たして250回買い物をするまでにマイバックを無事な状態に保てていられる自信はないし、そうしたらわざわざマイバックを買う理由がなくなってしまった。

そして衝撃的なことにレジ袋をどんなに削減しようとその影響は微々たるものなのだそうだ。

環境にいいことをしたいとは思っているがどうせならもう少しやる意味のあることをしようと思うのだ。

まだ具体的にはわからないけれど。

とにかく私はマイバックを買うつもりはない。

だが持ってきたレジ袋をかばんから出して買ったものを入れるのは私の羞恥心を最高にくすぐる行動であることは我慢ポイントである。

 

安いパンツが私に与えた悲劇

ユニクロなどの安いブランドで腰の部分がゴムになっているパンツを見るのは割と普通になってきた最近ですね。

私はバイトでゴムパンツ(と私は勝手に呼んでいる)をはいていて、一週間ほぼ毎日ゴムパンツをはいています。

そしてたまにボタンとかホックのついたパンツをはくときにとても実感するのです。

あれ、太ったかな…。

正直ゴムパンツのあの楽さに慣れ切った私の感覚は締め付けられるというものを知らず、座った時にお腹がぐっと押さえつけられてとても苦しくなってしまいました。

そしてあまりにも圧迫感があり、食後には耐えられずホックをはずして座っていました。

多分私は太りました。

まあそれはたいして大きな問題ではないのです。痩せればいいわけだから。

私がここで問題にしたいのはゴムパンツが私の肥えに拍車をかけたんじゃないかってことなんです。

今これをかいている瞬間も私はゴムパンツをはいています。

とってもらくちんです。

このらくちんさが私に危機意識を持たせるのを遅らせたのだと思います。

太ったのをほかのもののせいにするなとおっしゃりたくなる気持ちもわからなくはないです。私もそう反論したくなる側ですから。

でもこの件に関してはどうしても譲れません。

私は別に好きでゴムパンツをはいているわけではないのです。

はきたくもないのに毎日ゴムパンツで生活してる。

そしてお腹は抵抗のない状態に慣れきってしまっている。

もう慣れてしまうと普通の抵抗感のあるズボンに不快しか感じないのです。

だから自分の体形の変化に気が付かずここまで来てしまった。

このことが問題なのだと思うのです。

じゃあゴムパンツを買うのをやめればいいじゃないか

もっともだと思います。

しかし普通のパンツ、とてつもなく動きずらい。

特に最初のほう。履きなれていないジーンズと同じ感じです。

バイトは飲食とコンビニをしているので割と活発に動くのです。

だからパンツが動きずらいものだと何となくストレスを感じてしまうと思うのです。

とはいったもののそろそろゴムパンツもぼろぼろになってきたし、新しいものを買おうかなと考えているので今後のためにも普通のパンツをはく生活に戻っていこうかなと思ます。

頑張ります。

甘くない午後ティーをのんだ。

ファミマに行ったらちょうど飲んでみたいと前々から思っていた午後ティーのミルクティー微糖が安くなっていたので買ってみました。

家について早速キャップを開けてみると

ふわーっとあのおなじみの香りがしてきました。

しかし味のほうは確かに通常のミルクティーとは違いました。

確かに、甘くない。

成分表示を見てみると紅茶が一番最初に来ていました。通常のミルクティーは砂糖が一番多く入っているのですが、この微糖ミルクティーは紅茶が一番多く入っていました。

正直今までの激甘ミルクティーに慣れているとどうしても今回の微糖ミルクティーはただの薄味のように感じました。

後味もくどくなく、とにかくすっきり!

という感じでした。

うーんリピートはないかな。

砂糖がたくさん入っていないのは良いんだけれどだったら紅茶をもっとおいしいなーって感じたかったなー

と思いました。

思えば無糖のミルクティーもなんだかそこそこって感じだったなあと思いました。

午後ティーに使っている紅茶の茶葉があんまりおいしくないのかなあとしみじみおもいましたとさ。

 

ちなみに本名はザ・マイスターズミルクティーでした。

すごい手の込んでいそうな名前!

 

皮膚科に行くか迷っている話

ここ最近の私の悩みナンバーワンはだれにも言えないのである。

さすがに家族にはいったのだが友達には誰一人として打ち明けられていない。

それは、

ここ最近お尻がかゆいのだ。

お尻全体ではなく、排出物が出てくる周辺が異常にかゆい。

どのようなときにかゆいのかというと主に同じ場所にずっと座っていたりする時だ。

その時にかゆさに耐えられず、トイレにこもってお尻をかいてしまうのだがそういう時はたいてい湿っている。

異常なほどに。

だから蒸れてかゆくなっているのかなと持論を立てている。

家族に相談したら、

フェミニーナ軟膏を塗ってみたらといわれ、試したけれど効果なし。

思えばフェミニーナの効能のある対象はきっとお尻ではない。

ダメだったと言ったら

やっぱりオロナインでしょ。と渡されたが

オロナインを自分のお尻に塗ることがどうしてもためらわれて塗らなかった。

よってオロナインによる効果はわからなかった。

結果治らずにかゆいかゆいの状態で今に至るわけだ。

そのうち治るだろうという病院に行くのが面倒くさい考えでいたのだが最近になって病院行こうかなと思うようになったのだ。

それはかきむしっている皮膚が変化してきたことにある。

まあほぼ毎日ある程度同じ部位をかいていたらさすがに皮膚はある程度変質するだろうとは思っていたのだが、

最近かいた後の手に皮膚であっただろう物がついてくるようになった。

それを目にした私がとっさに浮かんだのが

やべえな

だったのだがよくよく考えて見るともしかして乾癬にかかっちゃったかな

と思ったのでネットで調べてみると

うーーーーん

とやっぱり初心者の目では断定できなかった。

ネットの画像検索では背中や頭、肘などの画像がほとんどでお尻にできるなんて全然書いていなかった。

そしてさらに言えばお尻の痒い所を自分の目でちゃんと確認しようとするのはなかなか難しいことなのである。

(説明はしないが、想像してほしい。はたから見るとなかなかおもしろい状態なのだ)

だから、観念してお医者さんに行くことに決めた。

しかしだ。医者に行くということは結局かゆい部分をお医者さんに見せるわけで…

ああ、想像しただけでもとてつもなく恥ずかしい!!!!

四つん這いで見ず知らずの他人にお尻を見せるなんて人生で初めて座薬を入れられた時以来だ。

(それにしても座薬の効き目はぴかいちだった)

でもかゆい。

かゆいのだ。

そのかゆみは突然やってきて、かかずにはいられないほどのかゆみをもたらずのだ。

でも人前でかくわけにもいかないからお尻をむずむずと動かしてなんとか紛らわせるしかない。

そしてなんとなくいい感じのタイミングでトイレに逃げ込んでかくしかない。

一度かゆくなってしまえばもう相手が何を話していようと全然頭に入ってこない。考えているのは、

いつトイレに行ったら不自然にならないか。

くらいである。はっきり言って割と生活に支障をきたしている。

皮膚科に行けば恐らく薬をもらって一発で解決することなのだ。

しかし、

恥ずかしい…。

でも、かゆい。だから私は医者に行くと決めたのだ。

医者にお尻を見せるときは仏になろうと思う。

 

さて、なにをしようか。

前の記事にも書いたが大学二年生になった。

一年生が終わった時点で来年は旅行をたくさんしよう!!!

という決心はついていたのだがそれだけではなんだかダメな気がしてしまって

旅となにか

を頑張ってやってみようと思っているのだ。

そこで真っ先に思いついたのが英語をしゃべれるようになること。

一年生の時に痛いほど実感させられたのだ。

私、英語喋れないんだ…

相手の言っていることはわかる。でも英語で瞬時に返すことができない。

旅先で外国人に話しかけられた。

相手 ”Can you speak English ?”

わたし ”So so"

ソーソーといったとたん相手がOh…みたいな反応になるがでも相手が何で困っているのかは分かったから解決してあげることはできて結局

”Thank you~!"

でいつも別れるのだけれど、電車に乗っていて急に話かけられたときは最高にコマッタ。

その彼は、多分日本人とお話してみたかったんだと思う。だから日常会話的なことを聞いてきて、その外国人がすごくかっこよくてちょっと緊張してしまって、案の定言いたいことが英語で出てこなくなっちゃって話が弾まなくてちょっと悲しい思いをした。

主にこの二つの経験によって英語、ちゃんと話せるようにならなきゃな。

と強く思ったのだ。

今年は国内旅行をたくさんするつもりでいるのだが来年は海外にも足をのばしてみようと思っているからやっぱり行こうとする先にもよるけど英語は話せるようになっておいて損はないと思うのだ。

じゃあそのために何をしたらいいのか、を考えて見るとやっぱり英語を話すという習慣をつけるしかなくてそのためにはお金がかかる。

というか当たり前なんだけれど、何をするにもお金がかかる。

しかしなんとうちの大学では無料で英会話レッスンが受けられるそうなのだ。

これは行くしかないだろう!!と今私の中で決心が固まりつつあるのだが、ちょっとの羞恥心が私の行動を邪魔している。

しかし今の自分を客観的に見てみると

なにに対する羞恥心なの???

という疑問がわいてくる。

確かに。私は何に対して恥ずかしいと思っているのか。英語の先生に全然話せない子だと思われるのが嫌なのだろうか?

しかし上の懸念はおかしいだろう。だってできないから英会話レッスンを受けるのだから。

きっと何か新しいことを始めようとしているから自分でブレーキをかけてしまっているのだと思う。

これは私の良くない癖である。

考えすぎて結局何もできないのはとても馬鹿なことだなあと他人の行動を見て思うのだが、いざ自分が考えすぎでスタートダッシュができない立場になるとその気持ちが痛いほどわかる。

この記事で延々と自分の気持ちを整理しているのだがやっぱり行動しないのはただのアホにしか思えなくなってきたのでとりあえずやってみようと思った。

そしてもう一つ、やってみようと思っていることがある。

それは資格取得である。

運転免許はまだとるつもりはないのだが免許以外でなにか資格を取ろうと思っている。

なぜなら大学の勉強だけではなんだか物足りないからである。

もちろん物足りないと感じている今の状況はあんまりよくない状況であることは重々承知である。

少なくとも一年生のうちは本当に講義は退屈なものばかりであった。

二年生からはゼミが始まる。これによって充実してくれるとよいのだが…

それによって資格を取るかとらないか、しっかり考えようと思うからこの話題はまた今度。

資格とるのにもお金かかるからね~

ほいほい受験して勉強するわけにもいかないよね~