つれづれぐさ

思ったことを忘れないための記録

今年初の旅、しょっぱなから台無しになる。

大学二年生の今年、私は旅をたくさんすることに決めた。

そして先日、大阪、京都の旅に出かけてきたのだがこれがもう大変だった。

移動時間もやはり、旅の醍醐味であると私は考えるのだがその移動時間が今回のテーマである。

当初、高速バスを乗り継いで大阪に向かうつもりであった。

高速バスを乗り継ぐという行動は危険であると承知していたから乗り継ぎの時間はだいぶよゆうをもって計画していた。

それにも関わらずなんとバスが大幅に到着時刻を遅れ、私は大阪行きのバスに乗ることができなくなってしまった。

その時の心境と言ったらもう凄まじいものであった。

運転手さんにあと何分で着くのか聞きたくて仕方ないのを必死にこらえ、これも経験これも経験…経験を金で買ったと思うしかない…

となんとか自分に言い聞かせてバスを降りたのでした。

さあ大事なのはここからです。

何しろもうバスは行ってしまって、私に残された金銭的に実現可能そうな行き方は電車に揺られていくしかないのでした。

新幹線なら二時間とちょっと、電車だとなんと八時間!

さすがに八時間電車に乗っていたことはないのでよし、電車で行くか~とはなりませんでした。

しかし新幹線、高い。

そして新幹線で行ったら当初の予定よりもだいぶ早く大阪に到着することになってしまいます。

しばらく会っていない友達に会うので会いたくないわけではないのですが別に二泊三日するのでそこまで頑張って早く会いに行く理由は特にないし、あんまり長い間一緒にいると私は相手のことが嫌いになりかけてしまう傾向にあるようなのでできれば当初の予定であった夕方につきたいのでした。

というわけでなくなく電車で大阪に向かうことになりました。

ちなみに帰りは高速バスに無事乗って帰ることができたのですが、行きと帰り、どちらの移動のほうがよかったのかといわれると時間こそかかりましたがやはり電車でした。

バスなら乗っているだけで到着するし、安いのですが選んだバス会社によってだいぶ居心地が変わります。

私が今まで使ったことのある長距離の高速バスはWILLERエクスプレスなのですが、今回は出発地の関係でWILLERに乗ることはできませんでしたが、今回の旅でいかにWILLERのバスの居心地がよかったのかということを体感させられました。

今回乗ったのはJAMJAMライナーというバス会社のバスでした。

WILLERとの大きな違いは頭を隠すカバーがないこと。

あれのあるなしで私個人的には桁違いの居心地の良しあしが分かれます。

あと足置きの場所。

長距離移動では快適に寝るために足置きがついているのですがなんだかあんまりその足置きの場所がいい感じにならなかったのです。

調節できたのかどうかはちょっとわかりませんがその足置きのせいであんまり楽な姿勢で寝ることができませんでした。

結局、WILLERのバスは(あのピンクの見た目を除けば)バスの車内で快適に寝るための施設が充実しているなあということが言いたいわけです。

今度大阪に行く機会があるとすればできるだけWILLERのバスを使っていけるようなルートできたいと思います。

本当は新幹線とかで行ってみたいけれど、それはきっと私は社会人になるまでのお楽しみになる予定。

初グリーン車体験

初めてグリーン車に乗ったらもう普通席には座りたくないと思った。

学割分のお金+ちょっとを払ってグリーン車に乗る価値は十分にあると思う。

グリーン車に乗ろうと思ったのはもう気疲れしたくないと思ったからだ。

いつも帰省する際は四時間ほど電車に乗って帰るのだがこの時にとても疲れる。

まず大きいスーツケースを持って普通車に乗るのはあまりふさわしくない行動と私は思うのだ。

上の荷物置きにスーツケースを置いている人もいるけれどあそこまで持ち上げあれるほど荷物が軽くないから無理、

よって必然的に常にスーツケースが転がってしまわないよう気を配る必要があるし、電車が混んでしまったときの心苦しさと言ったらとんでもない。

調べてみるとグリーン車は席の間が広いらしいのでまず荷物の心労がなくなることを期待して乗ることにした。

ちなみに今回は上でも下でもない、中段に乗った。

そして乗ってみて焦った。

スーツケースが席と席の間にすっぽりはまってしまったのだ。

のんびり足を伸ばすことは敵わなさそうである。

しかし隣の席は空いている。

とりあえず人が来るまで隣の席のスペースに置いておくことにした。

そしてグリーン車も結局はちょっと心が疲れる場所だということを知ることができた。

まずアテンダント

買うつもりが全くないのにある程度の頻度で来る。その度に私の睡眠は妨げられる。

なぜなら隣のスペースに荷物を置いているから!!!

新しい乗客が来たのではないかとしっかり入ってきた人の動きを観察する必要がある。

おちおち寝られたものではない。

でもやはり普通車に比べるとグリーン車はとても快適である。

まずテーブルや飲み物いれが備え付けられていて食事がしやすいし肘をついて読書をすることができる。

リクライニングがついているから背もたれを快適な角度に調節できる。

そして運のよいことに途中までは静かで落ち着いた空間が維持されていた。

そう、途中までは。

途中から女四人グループが乗ってきたのだ。

まあグリーン車では静かに!みたいなルールは一切ないからおしゃべりしても全然かまわないのだがあまりにも恥じらいというものを知らない会話で、それはいまこの公共の場で話す内容ではないのでは?

と頭の中でもんもんとせずにはいられない内容であったためそこから読書が全然手につかなくなってしまった

がそれもまた一興であろう。

聞き耳を立てるのもなかなか楽しいものである。

 

ベットを買うか買わないか

最近、ベットへの憧れが出始めている。

その理由は恐らくマットレスがへたってきたと感じたからだろう

MONOQLOの部屋づくり特集にあったベットのページを見てその気持ちがさらに高まった。

しかしベットはお布団に比べて総合的にみると高いく、ぽんとすぐに買える値段ではなかった。

そこで私は冷静にベットを買うことについてのメリットを考えてみることにしたのだった。

 

メリット

ベットを手に入れたということで喜びの感情が生まれる

寝るところにベットライトをつけて寝る前の読書が快適になる。というのも読書→睡眠への流れがスムーズに行える

 

落ち着いて考えて見るとあんまりメリットが多くないことに気が付いた。

しかも私の気持ちの問題によるメリットしか浮かんでこなかった。

そしてメリットを考えているときには逆にデメリットも浮かんできた。

 

デメリット

ベットから落ちるかもしれないという恐怖感とともに睡眠に入ることになる可能性がある

そもそもベットの値段が高い

今のところから引っ越すときに明らかに荷物が増える

 

そう。ベットを買うことによって私にもたらされるのはデメリットのほうがでかいことがちゃんと考えたことではっきりとした。

目先のふわふわとした欲望に騙されてのちに大きな痛手を食らうところであった。

危ない危ない。

マットレスがへたって寝心地が悪いのなら新しいマットレスを買えばいいし、お布団でもきっと入眠に入りやすくなるような読書環境作りができるはずである。

ベットはとりあえず後でよいのだ。

いまはほかにすべき押し入れの収納改革がある。

それでも私の心にはベットへのちょっとした憧れが存在していて、買うつもりもないのに家具販売サイトのベットのページを見て気に入ったものをお気に入り登録しちゃっていたりするからきっといずれはベット民になるのであろう。

なにはともあれ物を購入するときに一旦考えることは大切なことであるなあと実感したのであった。

 

ここ最近で初めて外出してよかったと思った一日

私の今月の本にかける予算はいろいろあって三千円である。

そしてそのうちの三分の一を村上春樹ノルウェイの森にかけようと思っていた。

しかしその購入の予定は来月に回されることとなった。

今日はしょっぱなからあまりよくないスタートだった。

バイトのシフトを一時間勘違い。

怒られることはなかったがそこで気分はがた落ちだった。

さらにいつもはしないようなミスをしてしまいとにかく早く上がって今日の晩御飯であるぶりの照り焼きを食べたかった。

上がってから私の心はなんだか寂しくて自転車は自然といってみたかった本屋さんに向かっていた。

なにか運命的な出会いをした本を読みたいと思ったから

かな??

初めて訪れる個人書店。

どんな店主さんがいるのかなと少し緊張していた。

なかは居心地が良い本屋でジャンルは様々だった。

私は本や出版について書かれている本と恋愛について書かれている本とでどちらを買うか迷った。

迷いだしたらその時は買わないほうがいいと私は知っているが、出ように出られない。

だって一時間くらいぶらぶらしていたから。

その一時間の間にいろいろなことがあったのだけれど。

まず少し居心地が悪くなった。

というのも店主さんの知り合い、もしくは顔なじみらしき人が来店して今まで私が独り占めしてきた空間が変化し、なんだか友達同士の中にまぎれた知らない人に自分がなったような感覚に陥った。

でも出ように出られないからその人たちが出ていくまで本を見ていることにした。

そしてそのあとに来た人は私の胸をざわつかせた。

その人は以前(恐らく)付き合っていた人と同じ匂いがした。

すれ違った瞬間心臓がちょっと反応した。

後姿を見たけれど絶対に同一人物じゃなかったから安心したけれど、すれ違うたびに好きだった人の匂いを嗅ぐ羽目になってなんだか落ち着かなかった。

そして私は買う本を決めた。レジに持って行って衝撃。

三千円以上じゃないとカードが使えないそうだ。

今私の財布には千円は確実に入っている。

欲しい本は千四百円プラス税。

要するに千五百四円!

財布に入っているか非常に怪しい。

三千円は私の今月の本にかける予算だ。

この本屋では一冊しか買わないと決めていたし、ノルウェイの森も読みたい。

でも財布の中身を確認するなんてそんなカッコ悪いことしたくない。

私は心の中で非常に焦っていた。

財布の中、みたいなあ

でも、正直カード払いがいいなあ

って感じで頑張って三千円分の本を購入することにした。

ノルウェイの森はいつでも買える

でもこの本屋での本との出会いは今限りかもしれないじゃん!?

みたいに自分を言いくるめて。

結果最高に楽しい本屋タイムを過ごすことができた。

そして購入予定の本をレジに持っていこうとしたとき、またしても障害が訪れた。

第二の店主さんの知り合い、もしくは顔なじみが来店したのだ。

しかも今度はすぐ帰りそうにない。

ずっとお話ししている。

そんな空気をぶち壊してお会計してもらう心の元気は今日はなかった。

気づいてくれ~~~

と思いながらちらっと店主さんを見るとお会計してくれた。

私の気持ちを察したのか、もしくはさっさと帰ってほしかったのか。

どちらでもよいのだ、そろそろお腹も減ってきた。

この後はスーパーで特売のみりんと小麦粉を買うのだ。

そういえば店主さん、結構コミュニケーション能力が高い方だった。

初めてですか?なんて私に聞いてきた。

それを聞いてああこの人はどんなお客さんとも会話するタイプなのだなと思った。個人書店をやっていくうえで人脈は大切なのかもしれないとひっそりと感じた。

そしてやっぱり本屋さんの研究を卒論のテーマにしてみようと帰り道に思った。

ところが。

スーパーのレジでお財布を開けて愕然。

お財布には最初買おうとした本一冊分の値段にギリギリ足りる額が入っていた。

その事実は私が先ほどまで感じていた文化人的な感傷をぶち壊した。

今私の頭の中にはノルウェイの森を今月読めなくなってしまった事への深い後悔が渦を巻いて私の中に居座っている。

 

私が思う謎の風潮

今春から大学二年生になるところで思うところがある

私の学校の人は年上の人を急にさん付けで呼ぶようになるのだ。

誰に何を言われたわけでもないのに今までの先輩付けをやめてさん付け呼びを始める

今では私もすっかりさん付け呼びに慣れているが初めのころは本当に気持ちが悪くてむずがゆかった。

思えば中学校進学の時では急に先輩呼びが始まった。

小6にして既に今の私のようなひねくれ者であったからなぜ急に先輩とか言わなきゃいかんのだと思った。

年上に対して敬語を使うことすらさいしょはとても億劫だった。

まあ今では社会に上がるためのワンステップだから仕方のないことなのかなと思っている。

なぜ年齢が上がると年上の人に対する呼び方が変わるのか

しかもなぜ先輩呼び→さん付けなのか

ちょこっとだけ考えてみた。

結論から言うと年上の人を尊敬するという意識付けのためかなと思った。

まず中学校に上がる前まで、大体の人間は先輩後輩という意識がそもそもない。

だから年上を敬うという考えがない。

だから手っ取り早く年上の人を先輩呼びする

そして敬語を使わせる。

それを高校生である期間も入れて約六年間続けることで無意識的に年上の人には敬語を使って、敬うものだという意識が完成する。

しかしそれだけではだめだと誰かが思ったのであろう。

職場で「○○先輩!」

とかいうのは大人として少し幼稚だなとでも思ったのではないだろうか。

じゃあそろそろ社会人になる大学生の時にでも年上の呼び方をさん付けにでもしておこうかなー

みたいな感じでこのような風潮ができたのではないかなと考えた。

小学校→連帯感の養成所

中学校→社会に出るための第一歩

高校→社会の理不尽さを知る場所

大学、専門学校等々→社会人になる前の最後の養成所

的な感じでいかがだろうか。

 

東京散策 蔵前

先日東京に行った際、蔵前に行きました。

一緒に行った人が言うには

「おしゃれな街」

といっていましたが私的にはオシャレというわけではないなと感じました。

結果的に一緒に行った相手も帰宅後のSNS

「面白い街」

という表現に切り替えていたからその認識はまあ間違って位はいないのだろうと思いました。

蔵前はどこにあるんだろう~

と思ってまず検索したら

なんと浅草にありました。

浅草には以前、浅草寺周辺を散策しに出かけたことがありましたがまさか蔵前も浅草だったとは…。

浅草寺周辺は割と建物が観光地化されていて観光しに来てる~という感じではありましたが

蔵前はまあ普通に住宅のあるところ(そう言ってしまったら浅草寺周辺も住宅はあるのでしょうが)ですからただ街を歩いているだけだと観光地だ~という気分にはなりませんでした。

ただいくつかの蔵前紹介サイトを見ていると建築が面白いだの隅田川散歩にもってこいだのという紹介が多くありました。

まあそれは間違っていないと思います。

隅田川散歩は今回かないませんでしたが、ランチしたカフェから見える隅田川の歩道は散歩したらとても気持ちよさそうでした。

今考えると散歩しておけばよかったです。

そうです。

今回の蔵前散策では主に川ではないほうを歩きました。

これは一緒に行った人の受け売りですが

問屋と新しくできたお店が混在している街

といった感じでした。

古い建物がいい感じにリノベーションされており、サブカルとかそういうあたりが趣味の人が喜びそうな雰囲気のお店が点在していました。

点在というのが大切なポイントで、しっかり場所確認をして歩かないとあっちに行ったりこっちに行ったりする羽目になりちょっと歩く羽目になります。

しかしまあのんびり歩くのも悪くないと思います。

高層マンションと、なんだかすごいきれいだけど和風な建物とか、いかにも年季が入っていて昔の建物の構造が好きな人にはたまらないだろうなという建物もちらほらとあり、まああまり退屈することはありません。

とりあえず言っておきたいのが

やっぱり東京のどこどこ(今回の例でいえば蔵前)に行きたい!

といって意気揚々と行くと自分の想像と違って

思ったよりも普通の街だった

とか

なんもすることない

とか思いがちな気がするので

(少なくとも私はそうなので)

あまり期待せずに他の、いかにも観光地~のようなものを期待していくと

とんでもないコレジャナイ感を味わう羽目になるので期待値はそれほど高くしないで行くことをお勧めします。

そっちのほうが街歩きを何倍も楽しめるかと思います。

結局観光地以外のどこどこに行きたいって結局していることは街歩きなわけで、

街ということは普通に人が住んでいるわけで、

(いや、オフィス街とかもあるだろうけど)

人間が住んでいるということは結局あんまり期待しているほど大きな差はないんじゃないかなっていうのが何となく言いたいことなわけです。

だって東京だよ?ド田舎じゃないよ?

ド田舎ならまあだいぶ風景とかも変わるのだろうけど、そこそこのところに住んでいれば大した差はないんじゃないかなって思います。

三浦しをんが好きだあああああ

先日三浦しをんのあの家に暮らす四人の女を読み終わった。

読後感はしっとりとしていた。

この本の中身は基本的に穏やかな日常が流れていた。

正直最初は読み進めるのが苦痛ですらあった。

しかし半分くらいを超えたあたりから明らかに読むペースが上がっていった。

私は三浦しをんの書く愛がとても好きだ。

後半から出てくる佐知の恋?や父親の愛、鶴代の愛の描写が胸にじーんときた。

うっかり涙ぽろりしちゃいそうだった。

しなかったけど。

佐知はきっと梶さんとうまくいくんだろうなと勝手にハッピーなその後を想像してしまう脳内お花畑な私。

三浦しをんの書く小説は大体私の気持ちを浮き上がらせる。

よって彼女の新作が出ると、そしてそれが恋愛小説であると尚更テンションが上がる。

新作、愛なき世界を読むのが今後の楽しみである。しかし今回は文庫になるまで待とうと思っている。

というのもソフトカバーでないととても読みにくいからだ。

ののはな通信はソフトカバーだったから心躍って買ってしまったが今回の愛なき世界は明らかに読みにくいはず。ハードカバーだから。

だらだらしながら読書をしたい派の私はどうしてもハードカバーの本に抵抗を持つ。

値段が高いし、読みにくい。

買う理由がどんどんなくなっていく!

よって時間がかかってもいいから文庫化されるのをひたすら待つ。

そういえば文庫化を待っている小説がある。

桜庭一樹GOSICKシリーズのブルー以降だ。

あれはいつになったら文庫が出るのか。

ハードカバーは結構ぽんぽんとでているのに…。

GOSICKシリーズはすべて小説で持っているからこうなったらもうすべて完結まで小説で揃える気満々なのだ。

なのになかなか出てくれない。

毎月ダ・ヴィンチで新刊一覧を見てがっかりしている。

待ちぼうけだ。

先日本屋をぐるぐるしていたら坂木司の和菓子のアンシリーズの二つ目が文庫で出ていたが、私は買わなかった。

なぜか。

もう魅力を感じなかったからだと思う。

いくらなんでも長すぎる。

長すぎるのだ!!

一作目和菓子のアンを読んで、それから二巻目が刊行されたのを知った時は絶対読みたい!早く文庫化しないかなーーーーーって心が跳ね上がっていた。

のに何度本屋に向かっても文庫はない。

それを見る耽美にじゃあいいやーってなる。

そうして熱は知らないうちに冷め切っていたらしい。

小説の余韻に浸っていられる期間をゆうに過ぎてから小説が刊行されても全く心になびかないしそれまでに新しく好きになる作家や読みたくなる本が出てくるのは不可避である。

 

よって三浦しをんの愛なき世界も早々に小説化されることを切望する。