つれづれぐさ

思ったことを忘れないための記録

ひとりぐらしのよさ

帰省するたびに感じるこの胸のムカムカは恐らくひとり暮らしに慣れてしまったからだと思う。

シャンプーを詰め替えるのも、掃除をするのも一人暮らしをしていても、家族と一緒にいてもすることではある。

なのに、人から指示されて自分のペースでできないというだけでこんなにも居心地の悪さを感じるのはマイペースに生きてゆけることに慣れきってしまったせいだと思う。

それにかかわらず、私はだれかと一緒に住むことを熱望している。

そのだれかは別に恋人である必要は全くなくて、友人でもよい。

家に帰ってきたときに誰かしらいるけどあんまり干渉しないそんな距離感で一緒に住める人がいたら最高である。

干渉はしてほしくないから、お互いの個室はないと絶対に嫌だ。

もし、好きな人と住むことができるようになったら

(なったら)

さすがに同じベットで寝たいとは思う。

でも、個室は必要。

そうじゃないと多分毎日ストレス抱えることになるかなあ。

そうそう、

帰省して家族としゃべるのは確かにいいんだけど、いいんだけどでもストレス。

必ずいやな気持になる。

まあそういう人たちだから仕方ないよねって思ってはいるけど

ストレス、すごい。

帰省二日目にしてもう帰りたい気持ちが溢れすぎてやまない。

もう一緒にはすめなーーい!

 

私がやりたい会話

女の子に対するお話の聞き方は、共感してあげましょう。

彼女はただ、話を聞いてほしいだけなのです。

女の子の扱い方についてそう述べられているのをとてもよく見かける。

女の子は男に対してただ聞いてほしいだけだということを伝えなきゃだめですよっていうアドバイスもみかける。

それらを見て私が思うことは、わたしにはあてはまらないなあ。残念。

ということである。

私はただ話すだけで何の解決にもならないことは無駄なので話したくないと思っちゃうタイプだと自覚している。

話したところで共感してもらってなんになる?

ストレス発散?

私にとって頭の中にある考えをこうやって文字に起こすだけでも相当なストレス。

まして声に出して言うなんてさらにストレス。

でも考えていることを客観視するために出力することは有効な手段だから、こうしてわざわざ文字に起こしているのだが。

じゃあ、やっと本題に入ろうと思う。

 

とりあえず私が話す側メインの時の話から。

 

話し合いとか、相談をしていてなんだかもやもやが晴れないときがたまにある。

それはなんでなんだろうって考えてたのだけど

私は自分の思い描いた話の流れにならないことがもやもやの原因だなという結論に至った。

でもこれってだいぶ自分勝手だし、それってもはや話し合いでも相談でもなんでもなくてただ自分のやりたい茶番に付き合ってほしいだけだよねひどいなー。

そう気が付いて、まあ確かに自分の中では答えが決まっていることがほとんどだなあと。

でもうだうだ考えたり、人と話すのが好きだからわざわざ時間作ってこんな面倒くさいことをしているんだなあと気が付いたわけです。

たまにいる、茶番に付き合ってくれない人は貴重だと思う。

(良くも悪くも。)そういう人は大体私よりも我が強くて心を持っている。

私の出した結論に対してその人なりの考えを伝えてくれる。

そういう新しい知見をくれる人ってなかなかいないから大事にしたいなってなんとなく思った。

でも!

でもさ?!

伝え方ってやっぱり大事で、一方的に自分の考えを言ってくるのって結構傷つく。

一番ベストなのは、私の考えを踏まえたうえで自分の考えを伝えてきてくれること。

そのことを理解したうえでやらない人、

理解したうえでできない人、

理解してない人

がいて、なんかもうできてないのはその人の個性だから仕方ないなって思う。

しょうがないって思いつつ、傷つきながら話すんだけど。

前回の記事で書いた通り、私がそれを心のどこかで望んでいるというのもあって関係を断ち切れずにずるずるしている。

はい。。

 

話を聞くことメインの時のことは、なんだか疲れたから別の機会にまた書く。

 

たぶん、きっと。

 

 

 

 

 

最近になって自覚した自分の変態性

結論を先に書くと私は胃の不快感が好きなのかもしれないということである。

今、好きかもしれない人がいる。

その人は私に嫌われようと好かれようと、どうでもいいと思っているから平気で私を傷つける言葉を言ってくる。

私もそれに対して怒るわけでもなく、笑いながらやめてよーーーとか言うだけ。

傷ついてるとか悲しんでいる素振りは一切見せないから向こうも多分傷つけていることにはまったく気づいていない。たぶん。

それがちょっと癪に障るのだけど。

いや、もしかしたら嫌われたいのだろうか?w

その旨を高校生のピュアな女の子に喋ったら、

えーそんな人私だったら二度と会わないです!

って言われて、ああ確かに普通ならそうなるのかもしれないなと感じたわけです。

ひどいことを言われてもまた会いたいと思うのはおかしいのだと。

もしかしたら自分を侮辱されるのが好きなのかもしれないと。

そういうちょっと変わった性癖を持っているのだなと。

それで、ちょっと細かく考えてみることにした。

会う、楽しく過ごす、別れる

その間に何度か傷つけられるのだがしんどいなって思うのは胃に不調を感じ始めてからだ。

胃の中にあるものの存在を感じてすごく気持ちが悪くなる。

今年に入ってからそう。

一人でいるときになることが多い。

その状態で人と会うとしばらくたってから解消される。

でもずっと人と会うのはストレス。

めんどくさっ。

あ、話がずれた。

予想なのだけど一年くらい付き合いすぎて胃の不快感を私は求めているのかもしれない。

また来たーってなるくらいには慣れた。

その不快感を感じる相手に会いたいと思っていしまう。

普通に考えたらおかしい。たぶん。

胃の不快感をもたらす要素は自覚している限り様々なんだけどまとめると

後悔なんだと思う。

あったときにこんな話をしたかった。でもできなかった。

あったときにあれしたかったけどできなかった

もしこうしていたら…。

不毛だ。

不毛すぎる。

考えるだけ時間の無駄だから考えないようにしている。

相手のことを思いやった?結果何もできず後悔の念に駆られて気持ち悪くなる。

たぶん、こんな感じ。

あの人と会うとそう思ってしまうことが多い。

自分ファーストで察する能力が低い。

そういう自分には全くできないことができてしまうのが好きなんだけどね。

ある種の尊敬?

まあそれがなきゃやってられないよね。

タピオカのストロー

タピ活が流行ってしばらくたつが私は訴えたいことがある。

それは消費者に向けてではなく、タピオカドリンクを販売する側(特にスーパーとかコンビニ)へ向けての訴えである。

私はタピオカのストローに腹が立って仕方がない。

なぜならタピオカドリンクについているストローは中のタピオカのサイズにかかわらず均一なのだ。

コンビニでタピオカドリンクを購入し、飲んだ時私はとてもがっかりした。

まあミルクティーの味はおいておいて、とりあえずタピオカの存在感のなさ。

大きくないし弾力のないタピオカはこんなにも腹立たしいものなのかと思ってしまった。

私はストローの太さを見て、もちもちのタピオカが食べられるぞと意気込んで購入したのにいざ飲んでみたら全く満足しない商品だった。

あのストローの太さはいかんせん盛りすぎだと思う。

あの太さでは中に入っているちっこいタピオカなど余裕で吸い出すことができる。もっと細いストローのほうが吸い出しがいがありそうなのに。

まあ、あまり勢いよく吸ってしまって窒息されては困ると思うが。

あとパッケージにまるで中にその大きさが入っているように勘違いさせる入れ物のデザインもやめたほうが良い。

あれはほんとにがっかりした。さすがに悪意を感じた

 

 

コードありのイヤホンはやっぱりいいと思う。

今更ながら、ワイヤレスイヤホンデビューを果たした。

 

 

求めるのは左右完全分離型のやつだ。

理由は単純。かっこいいからである。

初めてワイヤレスイヤホンをつけている人を見かけた時、補聴器をつけているのかなって思った。

でもあまりにもつけている人が多すぎてああイヤホンなのねって思うようになった。

そして少しの反抗心?からアンドロイドみたいだなってちょっと思っていた。

届いたイヤホンをつけた自分を見てやっぱりアンドロイドみたいだなって思った。

なんだか不思議な気持ちになった。

気分的に機械の人間になったような気がした。

それがちょっと楽しかった。

 

でもそんな気持ちは実際に使用してみて、テンションは下落。

音質が、ゴミだったのだ。

いやでもそれはイヤホンだけが悪いのではなくて、私の身体的特徴のせいでもあった。

私の耳はワイヤレスイヤホンをしっかりと装着するのには小さすぎたのだ!!

奥までちゃんとはまらないから、スピーカーからだいぶ遠い位置からしか音が聞こえなくてぺらっぺらの音楽しか楽しむことができないのだ。

走っている途中にいい音を聞きたいという思いから購入を決意したのに、ただただランニング中にストレスを与えてくるものでしかなかった。

なんとかしておくまで突っ込んでわくわくして音楽を流して

唖然。

やっぱりただのごみだった。

ワイヤレスで、かついい音を聞きたいのなら五千円では足りないようである。

はっきり言ってコスパが悪いように思う。

今まで使っていたやつはそれ以下の値段であるのに音は良いのだ。

端末との相性もあるかもしれないけれど、その音になれているとワイヤレスイヤホンのこのがやがやとしたヴェールがかかったような音はどうにもストレスである。

どうしても音楽に入り込めない。

やはりもう少し値の張るものを購入するべきなのだろうか。

とりあえずランニングの時しか使用する機会は訪れなさそうである。

残念。

 

今の私の現状分析

この記事は完全に自分のためで、別に誰に読ませようとも思っていないので読まなくてよい。

 

では開始。

 

結論から言うと、私は恋をしていない。

ふとある気の巡りあわせで知らない人に、今までの私であれば絶対しなかったであろうことをするようになったわけだが、そこで学びえたものは大きい。

まず、私は別におじさんが好きなわけだはなかったということ。

世間のおじさんのあのちょっと疲れた感じが好きな人間なのかもしれないと思っていたのだが、実際にあってみて別に誰でもよかったわけではなかったようだ。

私の意識する対象はあの人がおじさんだからではなくて別のどこかにあることがはっきりした。

そしてこの気持ちは恐らく恋でないこともうっすらだがわかってきた。

無理やり恋している自分を作ろうとしていたことを感じた。

これが分かってしまったことで胸の中が空っぽになってしまった気がした。

また退屈な日常が始まる。

そしてさらに

私は自分に好意を寄せている人を好きになることはなくてもその気持ちを利用?してふわふわな関係を貫こうとするようだ。

なかなかひどい女だと思う。

誰でも愛されるのは幸せなことだと思う。

でも私はなぜか自分に対して興味を持ってくれない人間に対して興味がわくようだ。

恐らく自分に関心を示してくれないのが納得いかないのだろう。

くそダサい自尊心の塊である。

はあ、恥ずかしい。

基本私は自分が大好きで、自分に酔っているようだ

ここまで自分を客観視できるのもなかなかすごいと思うのだがどうなんだろうか。

こんなことを考えているなんて周りの人間には到底言えない。

単純に引かれそうだから。

求められないと不安になる。

そして求めてくる人を探す。

最近はそういう傾向にある。

 

とりあえず以上ということにしておこう。

悩みがないっていう悩み。

とてつもなく久々にブログを書く。

やっぱり毎日更新している人はすごいと思う。

そんなに書きたいことがあるなんてすごい。

たとえ中身のない記事だとしても。

 

私は最近ふわふわしている。

心がすごく軽いのだ。

はっきり言ってとてつもなく退屈である。

好きかもしれない人と会っても

そこまで心拍数に変化はないし、なんかその人と一緒にいる自分を上から眺めている気分になる。

 

友達と話をした時に元気が出たよ。と言われた時も

さして心に響いたわけでもなく。

そっかヨカッタ。

程度の感想しか持つことができなくて我ながらちょっと寂しい気持ちになった。

 

そしてなんとも恐ろしいことに体を交わらせても大して快感を得られず、またまたその自分を上から眺めているな気分になってしまっているのだ。

 

これは個人的にはだいぶ由々しき事態だと思うのだが、解決策が見つからない。

 

私はいったい何をしたら満足するのだろうか。

 

人に褒められたときだろうか、誰かに愛されたときだろうか。

 

わからない。

 

全然わからない。

 

それで、少し自転車に乗りながらそのことについて考えてみた。

危ないじゃないかという指摘は重々承知である。

でも自転車をこぎながら考え事をするのはなかなかはかどるしなんだかウキウキする。

だから許していただきたい。

 

以下、私の覚えている限りの思考の流れである

 

まず、なんで私の心は満たされていないんだろうか

たぶんそれは幸せだなって思ってないからだと思う

じゃあ私にとっての幸せって何よ

んーーーー

あの人と付き合うことかな?

いや果たしてそうなのか?

多分私はあの人のことが好きなんじゃないんだよ。

今好きな人がいないから無理やりそうやって恋愛モードになろうとしてるんだよ。

うん。多分そうかも。

じゃあ私にとって幸せってなんだ!!

うーん

うーーーーーん

おっとあぶね。

そういえばさいきんの私はめんどくさいことをことごとく拒否してきて割と心をクリーンに保ってきて割と何も悩むことなくふわふわと生きているけれど

今この瞬間、いろいろなことを考えているこの瞬間だけはすごく生きている感じがして

脳がフル回転している気がする。

すごく充実感を感じるしすごく楽しい。

もしかしたら私はこうやって悩んだり、考えたりしているときが一番幸せなんじゃないだろうか。

なにに心を惑わされることなく、ただふわふわと生きているのも悪くはなかったけれど、さすがにふわふわ期間が長すぎたのかもしれない。

そっか私は悩むことが幸せなのか!

そう結論を出したらなんだか心がすっと軽くなった。

今まで心を虚無感が覆っていたとしたらなんかそれが吹っ飛んで言った感じ。

とても心地よい感じだった。

 

しかし問題なのはいまはっきりと今の自分について答えが出てしまったこと。

言ってしまえばまた考えるべきことがなくなってしまったのだ。

え、まって怖い。

 

結論が出てしまったことにとても恐怖を感じる。

またああの何もない感じを味わうのは嫌だ。

いやだいやだ。

 

私は悩みの種を生み出すためにいろいろなことに首を突っ込んでみようと思った。

悩みたいのがきっかけでいい方向に物事が進んでくれたらいいな。

という妙にポジティブな言葉で最後を締めくくろうと思う。

 

また、気分が向いたら。