つれづれぐさ

思ったことを忘れないための記録

東京散策 蔵前

先日東京に行った際、蔵前に行きました。

一緒に行った人が言うには

「おしゃれな街」

といっていましたが私的にはオシャレというわけではないなと感じました。

結果的に一緒に行った相手も帰宅後のSNS

「面白い街」

という表現に切り替えていたからその認識はまあ間違って位はいないのだろうと思いました。

蔵前はどこにあるんだろう~

と思ってまず検索したら

なんと浅草にありました。

浅草には以前、浅草寺周辺を散策しに出かけたことがありましたがまさか蔵前も浅草だったとは…。

浅草寺周辺は割と建物が観光地化されていて観光しに来てる~という感じではありましたが

蔵前はまあ普通に住宅のあるところ(そう言ってしまったら浅草寺周辺も住宅はあるのでしょうが)ですからただ街を歩いているだけだと観光地だ~という気分にはなりませんでした。

ただいくつかの蔵前紹介サイトを見ていると建築が面白いだの隅田川散歩にもってこいだのという紹介が多くありました。

まあそれは間違っていないと思います。

隅田川散歩は今回かないませんでしたが、ランチしたカフェから見える隅田川の歩道は散歩したらとても気持ちよさそうでした。

今考えると散歩しておけばよかったです。

そうです。

今回の蔵前散策では主に川ではないほうを歩きました。

これは一緒に行った人の受け売りですが

問屋と新しくできたお店が混在している街

といった感じでした。

古い建物がいい感じにリノベーションされており、サブカルとかそういうあたりが趣味の人が喜びそうな雰囲気のお店が点在していました。

点在というのが大切なポイントで、しっかり場所確認をして歩かないとあっちに行ったりこっちに行ったりする羽目になりちょっと歩く羽目になります。

しかしまあのんびり歩くのも悪くないと思います。

高層マンションと、なんだかすごいきれいだけど和風な建物とか、いかにも年季が入っていて昔の建物の構造が好きな人にはたまらないだろうなという建物もちらほらとあり、まああまり退屈することはありません。

とりあえず言っておきたいのが

やっぱり東京のどこどこ(今回の例でいえば蔵前)に行きたい!

といって意気揚々と行くと自分の想像と違って

思ったよりも普通の街だった

とか

なんもすることない

とか思いがちな気がするので

(少なくとも私はそうなので)

あまり期待せずに他の、いかにも観光地~のようなものを期待していくと

とんでもないコレジャナイ感を味わう羽目になるので期待値はそれほど高くしないで行くことをお勧めします。

そっちのほうが街歩きを何倍も楽しめるかと思います。

結局観光地以外のどこどこに行きたいって結局していることは街歩きなわけで、

街ということは普通に人が住んでいるわけで、

(いや、オフィス街とかもあるだろうけど)

人間が住んでいるということは結局あんまり期待しているほど大きな差はないんじゃないかなっていうのが何となく言いたいことなわけです。

だって東京だよ?ド田舎じゃないよ?

ド田舎ならまあだいぶ風景とかも変わるのだろうけど、そこそこのところに住んでいれば大した差はないんじゃないかなって思います。

三浦しをんが好きだあああああ

先日三浦しをんのあの家に暮らす四人の女を読み終わった。

読後感はしっとりとしていた。

この本の中身は基本的に穏やかな日常が流れていた。

正直最初は読み進めるのが苦痛ですらあった。

しかし半分くらいを超えたあたりから明らかに読むペースが上がっていった。

私は三浦しをんの書く愛がとても好きだ。

後半から出てくる佐知の恋?や父親の愛、鶴代の愛の描写が胸にじーんときた。

うっかり涙ぽろりしちゃいそうだった。

しなかったけど。

佐知はきっと梶さんとうまくいくんだろうなと勝手にハッピーなその後を想像してしまう脳内お花畑な私。

三浦しをんの書く小説は大体私の気持ちを浮き上がらせる。

よって彼女の新作が出ると、そしてそれが恋愛小説であると尚更テンションが上がる。

新作、愛なき世界を読むのが今後の楽しみである。しかし今回は文庫になるまで待とうと思っている。

というのもソフトカバーでないととても読みにくいからだ。

ののはな通信はソフトカバーだったから心躍って買ってしまったが今回の愛なき世界は明らかに読みにくいはず。ハードカバーだから。

だらだらしながら読書をしたい派の私はどうしてもハードカバーの本に抵抗を持つ。

値段が高いし、読みにくい。

買う理由がどんどんなくなっていく!

よって時間がかかってもいいから文庫化されるのをひたすら待つ。

そういえば文庫化を待っている小説がある。

桜庭一樹GOSICKシリーズのブルー以降だ。

あれはいつになったら文庫が出るのか。

ハードカバーは結構ぽんぽんとでているのに…。

GOSICKシリーズはすべて小説で持っているからこうなったらもうすべて完結まで小説で揃える気満々なのだ。

なのになかなか出てくれない。

毎月ダ・ヴィンチで新刊一覧を見てがっかりしている。

待ちぼうけだ。

先日本屋をぐるぐるしていたら坂木司の和菓子のアンシリーズの二つ目が文庫で出ていたが、私は買わなかった。

なぜか。

もう魅力を感じなかったからだと思う。

いくらなんでも長すぎる。

長すぎるのだ!!

一作目和菓子のアンを読んで、それから二巻目が刊行されたのを知った時は絶対読みたい!早く文庫化しないかなーーーーーって心が跳ね上がっていた。

のに何度本屋に向かっても文庫はない。

それを見る耽美にじゃあいいやーってなる。

そうして熱は知らないうちに冷め切っていたらしい。

小説の余韻に浸っていられる期間をゆうに過ぎてから小説が刊行されても全く心になびかないしそれまでに新しく好きになる作家や読みたくなる本が出てくるのは不可避である。

 

よって三浦しをんの愛なき世界も早々に小説化されることを切望する。

 

ピンクな話

今日は久しぶりに休日に外出した。

それもちょっといいなーと思っている人と。

ダメもとで誘ってみたらOKをもらってとりあえず今日まで最高にハッピーな気分だった。

そして今日が終わってしまうのがとても苦しくて嫌だった。

のだが、今はそうでもない。

今回の外出を通して買い物はやはり一人が一番気楽でよいということだ。

よく男女のデートでは一緒にショッピングの描写が入ることがあるが一緒にショッピングなんて全く落ち着かない!!

興味の持てなかったところはスラーっと通り過ぎたいし、じっと見ていたいところはいつまでもい続ける。

ショッピングなんてみんなそんなものだろう。

いくら趣味嗜好が合う人だといってもベタベタくっつきながら買い物して何が楽しいのか理解に苦しむ。

よって今日のお出かけもちょっと窮屈な思いをしながら楽しんだ。

といってもやっぱり一緒にいたい人と行動するのはだいぶ心が躍ることで

なかなか充実していた日だと思う。

でもどうしても嫌だなーというところに目が行ってしまうのが悲しい。

一緒にいるときにスマホを操作されるのはなんだか傷つく。

これは友人でも然り。

悪気はなくてもお店の中でちょっと文句的なことを言うのはどうかと思う。

思っても口に出されるのは行儀が悪いと思う。というか聞いていて不快。

こんなところだろうか。

あとちょっとカッコつけるところ。

キザとかじゃなくてこなれている感を出しているのだ。

慣れていないならそれでいいじゃない?って思う。

以上が気になったところなのだけれどそれでもまた一緒に出掛けたいと思うのはその欠点(?)を超える何かがあの人にはあるからなのだと思う。

それがあの人の私を引き付ける何かなのだ。

 

会ってしばらくしてからまた会いたい旨をいつ伝えようか頭を張り巡らしていたのだが、向こうから言ってくれたから助かった。

助かったというか予想外すぎて内心目を見開いていた。

意識している人との会話はいつも以上に計算して話してしまうからとても疲れる。

相手に聞いていいことと悪いこと、自分の話をどれくらい話すかなどなど

考えだしたらきりがないし相手の話についていけなかったときにどう返答するかも大切だ。何度も聞きなおすのは会話のテンポが乱れるし、向こうもいい気はしないだろう。

大抵は一回のやり取りをうまく受け流せてしまえば、何の話をしているのかすぐにくみ取ることができるのがほとんどなのでこの能力は重宝している。

次に会うのはまあちょっと先なのだけれど、それまでそわそわしながら日々を過ごすことになる。

こんな感情はとても久しぶりだからきっとそういうことなのだろうということにしておく。

牛乳を買う

牛乳が買い物に行くつもりのない日になくなるとすごくだるい気分になる。

私は毎朝牛乳を飲む

飲まないと正直朝ごはんを食べた気がしない

だから牛乳が切れるというのは大問題なのだ。

切らさないために2本ストックしておけばよいと思う人もいるだろうが一人暮らし用冷蔵庫の容量ではちょっとしたくないなと思う自分がいるので2本ストックはしていない

勝手だな~

話を戻そう。

牛乳が切れて思いつく行動パターンは3つ

飲まない

スーパーに買いに行く

コンビニで買う

この3つ。

本来なら迷わずスーパーに行くのだが

スーパーで牛乳だけを買うのはなんだか恥ずかしい。

きっとレジ打ちする人は何を思わないだろう

しかし私が嫌なのだ。

そして牛乳と何かを買おうとすると結局はいらないものを買ってしまって高くつく。

飲まないなんて言うのは論外だ

しかし選択肢には浮かぶ。

でも無理。朝のルーティーン的な奴だ。朝ごはんを食べないという猛者を進学してから何人も見たけれど私は一度も…いや、本当は一回だけあるのだけれどしたことがない。

朝ごはんを抜くくらいなら遅刻するほうがいい。

化粧もするし朝ごはんも食べる。結果どれかしなければ遅刻しなかったはずなのにそれらをやったせいで遅刻してしまうこともしばしば。

遅刻してはいけないのはわかるけれどどうしてもやらずにはいられない。

だから私は朝に牛乳を飲む。

よって牛乳切れは大問題なのだ。

コンビニで買うのは本当に癪だ。高いから。

今のところ本当に一度もコンビニで牛乳を買ったことはない。

第一、いつも飲んでいる牛乳と味が違うのが気持ち悪いと感じる私。

宿泊先で朝に出てくる牛乳は手を付けない。

飲んだことがないメーカーの牛乳を買うのはすごく勇気がいる。

まず牛乳はにおいから違う。

買うのはいつも無調整牛乳かつ一番安いもの。

後味が気持ち悪いと思ったものはリピートしない。

後味にもいろいろあるのだ。

といっても単純な話で、美味しいものはなんだか爽やかでほんのりバニラ見たいな味がするのだ。

この説明をしても誰にも分ってもらえない。

全然わかんないって言われる。

だから言わなくなった。

とりあえず、

周辺のスーパーを回り美味しい牛乳を売っているスーパーを見つけたらそこが一番近くなくてもそこのスーパーで買い物をする。

引っ越してきてから一番初めにやったのがそれ。

話がとんでもなくずれてしまった。

もとはなんの話だったっけ。

そうそう、コンビニで牛乳を買わないという話でした。

今回私がとった応急措置は

コンビニで飲むヨーグルトを買うだった。

やっぱり近くて、単体で買っても特に何も思われないだろうコンビニは便利だ。

3日にわたり、最寄りのコンビニの飲むヨーグルトを買って朝のおトモにした。

なかなか美味しかったけれど一本110円プラス税(だったかな)

安くはない。まあでも美味しかったから良しとする。

一昨日買い物をしてきた。

好きな牛乳のスーパーに行き、食材と、もちろん牛乳を買ってきた。

次の朝に飲んだ牛乳はなんだか幸せだった。

なんたって3日ぶりくらいの牛乳だったから。

やっぱりこれだなあー

と実感した。

そしてお腹を下した。

ここまで牛乳を語っておいてなんだが

私は特に牛乳を愛しているわけでもない。

ただ毎朝のルーティーンである、それが言いたいのだ。

毎日やっていることが崩れるのはなんだかやっぱりよくない。

 

 

誕生日プレゼントを買うのって

今度友人(?)の誕生日を控えている

私は祝う予定はなかったのだがどうやら祝う羽目になりそうである。

そもそも彼女たちは私の友人なのかどうかも怪しい

そもそも私は彼女たちのことをそんなに信用していないし好感を抱いてもいない。

それなのに

なぜ祝う羽目になったのか

それは恐らく彼女たちの面目のためだろう。

一人だけいないのは変だと周りから思われるのを避けたいのだと思う。

つまらない理由である。

私と彼女たちとの関係はサークルの同じ班の仲間といったところだろうか。

そんな薄っぺらい関係でどうして祝う必要があるのか。

正直誘われないことを心から祈っていた。

しかし誘われてしまった。

そしてやはりプレゼントを買ってくることを前提で。

行かなければおそらくこれからの関係が悪くなって居づらくなるだろうから断るわけにもいかない。

とにかくプレゼントを買わなければいけないのが納得いかない。

好きでもない人のためにお金を出すのは私の行動原理にない。

正直労力の無駄にしか感じないのだ

私がプレゼントを買うのにはすごい頭を使うし自分の物欲との戦いでもあって

途中からただただ疲れる行動でしかない

そんな疲れることをどうでもよい人間に対してやらなければいけない

考えただけでも最高にだるい

疲れる。

しかし自分の身の保全のためにやはり私はプレゼント選びを全力で彼女たちのために行うのだろう。

我ながら最高に情けないことである

 

まよい

ついさっき心が大きく揺れることがあってこれは忘れちゃならん!と思ったので連投する。

さっき大学の掲示板を見てきたら転学募集のお知らせが貼ってあった。

お知らせの紙の日付を見てみると1月15日とある

おかしい

私は今日までに何度か掲示板を見ていた

しかも割とじっくりと

なのになぜかこの紙を見るのは初耳だった。

そして転学を考えていた私はすごく揺らいだ。

出願条件はそろっているがその締め切りが今日の五時半(笑)

冗談かと思った(笑)

私の学校は二年生からゼミに所属するのだが今のところ入りたいと思えるゼミが今所属している学部にはなくて困っていた私は転学を考えていた。

しかし後期に入って

というか心の中の冷静な私が

とりあえず一年頑張ってみなよ

といっていたのでとりあえず二年生は今の学部のままでいいかな

と思っていた

しかし、もし二年生でゼミがやっぱりつまらなさ過ぎたら転学を考えるだろう

そうするともう一回二年生をやり直すことになる

つまり大学五年生になるのが確定しているわけだ

そのことに対してなかなか「まあいっか」とは思えない自分がいて掲示板の前でいろいろと考え込んでしまった。

とりあえずやっぱり一年頑張ろうと思って来年転学試験に挑むのはやめておいた

来年入るゼミが私の想像よりもはるかに面白く興味の湧く内容であることを切に願う。

もしだめだったら転学する。

以上。

 

 

ハードカバーの壁

今欲しい本がある。

「若い読者のための哲学史」という本だ。

前々から哲学には興味があってこれまで哲学がどのような歴史をたどってきたのか知りたくなったためこの本を読もうと思った。

しかしここで問題が立ちはだかる。

この本値段が高いのだ。ハードカバーの本で明らかに寝ながら読むには不向きなのだ。

なぜハードカバーにしてしまったのか

若い読者のため

とあるのならば、その若い読者が手に取りやすい形状、値段設定にするべきではないのだろうか。

それともハードカバーに手を出せない貧乏学生はこの本を手に取るなということなのだろうか

哀しい。

他にも哲学史について書いてある本が存在するのは知っている。しかし今回の本は翻訳者の人の翻訳が上手なのか、はたまた著者の表現が秀逸なのかわからないがとにかく立ち読みをしてからその本のことが忘れられないのだ。

その本を忘れられない私はブックオフやメルカリ、アマゾン、楽天でその本を探した。

しかしメルカリを除いてどこもかしこもまだ私の予算には追い付かない値段なのだ。

メルカリは買える値段であったけれどすべて売り切れで新品本しか残っていなかった。

この検索結果を見て正直しょんぼりしながら画面を閉じたのであった。

私の予想ではその本は恐らく文庫化しないのでどれだけ待っても定価で安く手に入ることはありえないと思っている。

さてどうしたものか

一か月に割り当てている本に対する予算を跳ね上げればまあその本一冊買えないこともないのだがなんか

なんかそういうのは嫌だ

その本と何かもう一冊買いたいのだ。

この物欲に耐える感覚は個人的には嫌いではないが、いつか爆発して破産しないことを祈ろう。